「まつ毛エクステンション」の起源を考察

日本における「まつ毛エクステンション」の歴史ついて

 

2000年頃、韓国から導入されたとする説について

日本における「まつ毛エクステンション」の起源について考察してみたい。
ネットなどの情報を詳しく調べてみると、ウィキペディアをはじめ、アイラッシュ専門のメディア、アイラッシュサロン関係のホームページなどでは、かなり共通した起源説が次のように記述されている。

■1980年頃に美容大国の韓国で誕生した。
■韓国のつけまつ毛工場の生産過程で多量に余った人口まつ毛を再利用し、その数本の束をまつ毛に接着させたのが始まり。
■日本には2000年頃、韓国から導入され、2003年頃から毛先の細い人口毛が開発され現在まで発展してきた。

韓国のつけまつ毛工場で、多量に余った人口まつ毛をうまく再利用し、まつ毛エクステンションに発展したという起源説は、韓国においては本当のことかもしれないが、それが日本に導入され、日本のまつ毛エクステンションの始まりになったという説には、かなり無理があると思われる。当時の事をよく調べてみると、日本における「まつ毛エクステンション」の歴史は、2000年頃、韓国から導入されたとする説とは異なる事実が浮上してくる。

 

当初は「植えまつ毛」とネーミングされ、エステ業界から普及!

先ず、日本に「まつ毛エクステンション」が導入された年代とその経緯だが、エステティック業界の専門紙であるエステティックジャーナルには、1998年4月25日号において、すでに次のような広告が掲載されている。「新登場!フランス直輸入の植えまつ毛、短い、薄い、少ない、まつ毛の三大苦を克服。植えまつ毛をすると、マスカラ、ビューラー、アイライナーは不要で、1~3週間持続できます。植えまつ毛協会加盟店募集中。植えまつ毛講習会参加者募集」。この広告で「植えまつ毛」と表現されている技術は、人口まつ毛を1本1本、地まつ毛に接着させて、1~3週間ぐらい定着させるものなので、現在の「まつ毛エクステンション」のことである。

この広告を出したのは、静岡県にある株式会社アクティブという会社で、同社が、「植えまつ毛協会」協会を設立し、その技術と関連商材の販売を展開した。1998年当時、フランスから、植えまつ毛の技術と関連商材が導入されているので、フランスでのまつ毛エクステンションは、更にその前から実施されていたということになる。ちなみに、株式会社アクティブが1998年当時行っていた「植まつ毛講習会」は、講習参加費25万円(サロン用材料費込み)、植まつ毛L、M、S各1箱(1箱60本入り)計180本、ソリューション(のり)、リムーバー付き。となっている。

エステティックジャーナル紙には、他にも、1998年8月10日号において、「日本植えマツ毛協会」が、次のような広告を掲載している。
「正統派スーパーアイラッシュ(植えまつ毛)、ついにフランスから本格的に上陸」「驚異の独創的アイメイクアップ。普通のつけまつ毛と異なり、耐久性が抜群。1~3週間の持続が可能です。時代の急所を押えた新未体験メニューがサロンの集客力と増収率を強大にバックアップします」。「植えまつ毛定期講習会開催、講習費15万円(2名一組)、植えまつ毛専用キッド・各種テキスト付」。まつ毛専用キッドは「専用まつ毛(ミニ・ショート・ミディアム)各2色360本、専用のり1本、専用リムーバー1本、専用ピンセット1本付」となっている。

このような事例から、日本における「まつ毛エクステンション」の起源は、1998年頃、フランスから技術と商材を導入し、当初は「植えまつ毛」とネーミングして、エステティックサロンから広まっていった。それが現在の「まつ毛エクステンション」に発展した。という起源説が成り立つ。また、当時の日本には、すでに「植えまつ毛協会」と「日本植えまつ毛協会」の2つが存在し、エステティック業界に向けて「植えまつ毛」の普及拡大を行っていた事になる。

 

商材や技術は1997年以前に「フランス」から導入される

フランスには、有名なエステティック業界の専門誌「ヌーヴェルエステティック」があり、長年に渡って発刊されている。同誌は、世界各地で翻訳され、契約しているそれぞれの国でも発行されている。日本においても「ヌーヴェルエステティック・ジャポン」があり、1980年頃から日本版が発売されている。1997年頃、その「ヌーヴェルエステティック・ジャポン誌」に、フランスのエステティックサロンで行われているメニューで「長持ちする、つけまつ毛のメニューと技術」という小さな記事が紹介された。いわゆる今の「まつ毛エクステンション」を紹介した記事である。

その記事に注目した、日本のエステティックサロンの女性経営者が、「これはいける」と思い、すぐに、ヌーヴェルエステティック・ジャポンを発行する会社の編集長に掛け合い、ツアーを組んでフランスへ直行してサロン見学を実行した。見学したのは、マチスという化粧品ブランドのエステティックサロンで、実際に長持ちする、つけまつ毛の技術を見ることができた。その日本の女性経営者は、即座に、フランスの業者と契約して「長持ちするつけまつ毛」の技術と関連商材を日本に導入し、「植えまつ毛」とネーミングした。

また、女性経営者は「日本植えまつ毛協会」を設立して「植えまつ毛」の技術普及並びに関連商材の販売を開始した。そのすぐ後に、別の日本の業者が「植えまつ毛協会」を設立して、同様の技術と商材の販売に乗り出した。エステティックジャーナル紙の広告には、「植えまつ毛協会」と「日本植えまつ毛協会」がほぼ同時に出されたが、日本に一番初めに導入したのは「日本植えまつ毛協会」のようである。

それにしても、フランスでの見学後、すぐにその技術と関連商材が導入され、日本での展開となったわけだが、そのスピードに感心させたれる一方、見様見まねで覚えた技術を短期間の講習で教え、習った人がサロンでお金を取って施術したのだから、色々な問題やトラブルが起きても当然と言えば当然なことであった。

つけまつ毛を長持ちさせるいわゆる「まつ毛エクステンション」の施術は、フランス、アメリカ、中国、韓国など、多数の起源説がある。それに使われる商材は、瞬く間に、中国、韓国、台湾などが主流となってしまったが、安い、早い、多様な変化に対応できるなどの利点があるので、それも当然の流れといえる。

 

【1998年、エステティックジャーナル紙に掲載された「植えまつ毛」の広告紙面】